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(*゚ー゚) Lin: 英語って数えられる名詞、数えられない名詞ってあるけど、これってどうやって決めてるんだろう。何か理由があるのかな?いつも疑問に思うんだけど。
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(=゚ω゚) Lan: 特に根拠のようなものはなくて、歴史的にそう決まってるとしかいえないものだと思うよ。
たとえば、「rice」は不可算名詞だけど、日本人はお米を一粒二粒って数えるのは普通のことだよね。ただ英語圏の人たちにとっては、一粒一粒は大して重要じゃなくて、お米はただの一塊としてしか認識されてないから、不可算名詞になってるんだろうね。
そういう意味では、何が数えられて、何が数えられないのかは、native speakerがどう捉えているかっていう意識を反映して決まっていくものだと思うよ。
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(*゚ー゚) Lin: へぇー。
じゃぁ、日本人が数えられるって感じるものでも、英語のnative speakerが数えられないって感じてるものは、不可算名詞ってことになっちゃうの?
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(=゚ω゚) Lan: うん。結局そういうことだよね。
それに同じ単語でも意味が変われば、数えられるかどうかも変わったりするよ。
たとえば、「paper」は紙っていう意味のときは、不可算名詞だけど、論文とか報告書とかいう意味のときは、数えられる名詞になって「a paper」ってなったりするよ。
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(*゚ー゚) Lin: うーん、ややこしい(泣)
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(=゚ω゚) Lan: 英語は、特に「数」にこだわる言語だからね。
日本語はこの点がかなりあいまいで、普段あまり気にしてないよね。特に必要性がなければ表現されないからね。
だけど、英語では、名詞の数は、文法構造に組み込まれていて、文脈に関係なく、どんな場合でも明確に示していく必要があるんだよ。
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(*゚ー゚) Lin: 文脈的に必要なくても、もう文法事項に含まれてるから、名詞を言うときは常に数を意識しなきゃダメってことね。。。
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(=゚ω゚) Lan: そーいうこと。
たとえば、何を買ったのと聞かれて、日本人なら、「りんご」とだけ答えておしまいだよね。特別、数を聞かれない限り、日本人からすれば、りんごを一つ買ったのか二つ買ったのかなんて、どうでもいいことのように感じるのが普通だよね。
きっと英語圏の人もそんなこと大して気にしてはいないと思うよ。だけど、英語では、an appleなのかapplesなのかをはっきりさせないと文章として表現できないんだよ。文法として組み込まれているから「数」を表現せざるを得ないんだね。
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(*゚ー゚) Lin: 紙を買ったら、それが数えられるのかどうかまで考えなくっちゃいけない(笑)。
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(=゚ω゚) Lan: そう。そういうこと。
いやでも数を意識せざるを得ないんだよ。
あと、時制もそうだよね。英語は、過去、現在、未来の三つの時間に、それぞれ進行形、完了形、進行完了形があって、全部で12の時制があるからね。これも文法として組み込まれているから、常に意識しないと文章が作れない。
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(*゚ー゚) Lin: うーん、やっぱり大変(泣)
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(=゚ω゚) Lan: 大変だけど、でも否が応でも数や時制を意識しなければいけないのが英語の特徴なんだよ。
逆に普段から数や時制について意識するようにすれば、だんだん英語の感覚に近づいていけるはずだよ。
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(*゚ー゚) Lin: 言葉を学ぶということは、ただ他の「言い方」を学ぶことではなくて、その言葉の「発想」や「考え方」も学ぶことなんだね。
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(=゚ω゚) Lan: そう!言語にはそれぞれ、その言語に特有な論理があって、その論理は、その言葉を話す人たちのものの見方や考え方を反映しているんだよ。
特に日本語と英語のように、言語的にかけ離れた言葉同士だと、言葉の発想法そのものが違っていて、言葉の論理が大きく違ってる。
つまり、日本人にとって英語の学習が大変なのは、日本語にはそもそも存在しない概念や発想が英語の中にはたくさんあるからなんだよ。
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(*゚ー゚) Lin: 単語や表現を覚えるだけじゃなくて、発想の転換も必要なんだね。
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(=゚ω゚) Lan: うん、そういうことだね。
発想を変えるというか、ものの見方、捉え方を変えないといけない。
英語を話すときは、エイゴケンノヒトニ、ナッタツモリデ、ハナサナケレバダメ、ナンダネー。
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(*゚ー゚) Lin: それ、英語圏の人になったんじゃなくて、ただ片言の日本語話してるだけの人じゃん!
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(=゚ω゚) Lan: 。。。あれ?